スロー・グッバイ

 忍とはつまり、単純に言えば人殺しのことである。無論そう単純なものではないが。忍を育てる学園。そこへ編入というものをするのだから、いくら1年生より忍術について知らずとも。「殺し」をするのであろうということは理解していた。そしてそれを知っていて尚、忍術学園へ来た。殺すことも殺される危機があるということもタカ丸は知っていた。



 タカ丸を含む忍術学園の4年生が戦場へ実習に行ったと聞いて、4年より上の上級生等がまず思い浮かべたのは途中編入した斉藤タカ丸のことである。1年から基礎を学び、4年になって初めて行う殺すという行為。それを編入してまだ半年も経っていないタカ丸にも参加させるとは何事か、と。心配する者もいた。これはタカ丸だからこそのことである。4年の月日を重ね、その上で覚悟して戦場へ向かう者とは違い、タカ丸は実質1年生と変わりないのだ。だからといって、ここでタカ丸を参加させない場合はいつ参加させればいいのかなどということはわからないが、まだ早すぎるのでは、という声が幾らかあったのだ。
 しかしただ一人、学園長だけが喰えない笑みを浮かべたままタカ丸の参加を決定付けた。



 血と火薬の匂い。馬が死体を踏む音。煌々と燃える橙色の炎。死臭が漂う戦地で、深紫色がすばやく動く。金の髪は、戦場であまりにも鮮やかに目立ちすぎる。―が、金色のものを認知する前にその目玉は白目を剥いて二度と光を見れなくなる。止まることを知らない金の獅子。それは殺人行為で狂った者でも、殺気に気圧された者でも、血に酔い正気を失った者でもない。忍である。口元にはいつのも柔らかな微笑。いつもは鋏を持つ手には忍刀。髪を優しく梳く両手は血に塗れ、紫色は黒々と血を吸っている。金色の髪は艶やかに靡き、血は一滴も着いていない。

 それを遠目で確認。戦輪をくるりと回しながら、滝夜叉丸は背筋を震わせた。いつも彼の人は優しかった。だから忍にならず、髪結い師として生きていけばいいのにと何度思ったことか。今回の実習には来ないでと何度止めたことか。しかしそれらは無駄だったのだ。彼は忍。髪結いのできる忍。いつもは優しいその両手で、きれいに人を殺す。いつもは柔らかく微笑む相貌はそのままに血に塗れる。闇の中でさえ輝く金色の髪は、美しい以上に恐ろしい。
 戦輪が指を離れる。男の首を掻っ切った戦輪は己の手元に戻ってきて、殺したのだというその事実に眩暈がした。けれどここで止まるわけにはいかないのだ。これは忍になる上で必要な過程。殺しを快楽とも苦とも思わず、仕事として割り切れること。
 耐えてやろうじゃないか、と滝夜叉丸は前を見据えた。血が舞う戦場。兵士たちの叫びと金属音が重なり不協和音を奏でる。遠くにちらつく金色。知っている者達が無事いればいい、と思って、忍に有るまじき甘い考えに震えながら苦笑した。



 引き金を引けばそれで殺せる。人を切る感触など感じない。だから人を殺したということがいまいち実感できない。けれど倒れて死んだ兵士を見て、殺したのだと自覚する。―瞬間、腹の底がぎゅうっと絞られたように痛んだ。慣れ親しんでいた火薬の香りが幾分か痛みを和らげて、けれどそれでもずきりと痛む腹は治らない。耐えなければ、と正気と狂気の境を彷徨いながら唇を噛む。前方を見据えて発砲。血を噴出しながら倒れた兵士はぴくりとも動かない。
 ふと、金色の残像が見えて指先が震えた。恐ろしいと思った。三木ヱ門は初めて心底人を恐ろしいと思った。―恐ろしい?・・・・違う、この震えは恐ろしさではない。
 これは、尊敬、だ。
 自覚した途端、震えは収まる。恐ろしいのではない。ちがうのだ、と三木ヱ門は首を振った。すごいと思ったのだ。ただ純粋に。
 帰ったら髪を洗ってもらおう、なんて思って。三木ヱ門は再度標準を兵士に合わせた。



 円匙を振るう。避けきれずに頭をそのままくるりと回転させた男の背後に宝禄火矢を投げる。瞬間逃走、距離を置く。一呼吸分を置いて爆発を起こしたその場を離れ、あちこちに宝禄火矢を投げながら円匙を操る。いつもより早い鼓動は、爆発音に掻き消された。喜八郎は円匙を強く握ると、ぎりっと唇を噛んだ。視界の端に映る金色。人を殺すのはまだ恐ろしい。けれどそれ以上に。彼が怪我を負うのが恐ろしい。滝夜叉丸や三木ヱ門が怪我を負うのが恐ろしい。早く早く、こんな戦など終わらせなければ。そのためならばいくらだって殺そう。  ―己のこの情は、忍にとって致命的なものであるとわかっている。学園を卒業したら敵になるかもしれない友人らに、依存にも似た友愛を。執着にも似た依存を抱くことは、いけないことなのだろう。滝夜叉丸に三木ヱ門にタカ丸。先輩に後輩。敵になったときに殺せるか?―殺せるさ。
 他人の手に殺させるくらいなら己が苦しまずに殺してやろう、と喜八郎は笑みを浮かべる。今はまだ。今はまだ学園の中で共に過ごせるから、守るためならどんなことだってするけれど。卒業して敵として出会えたのなら。それはとんでもない幸運だ。己の手で殺せるのだから。他人が手にかけることは許さない。そう、できれば殺したくないのだけれど。
 そんなことを考えながら、喜八郎はまた一人、人を殺した。



 鋏を持つ手は汚さない。それができればあとは別になんとも思わなかった。鋏を凶器にはしたくなかった。だって鋏に血の香りをつけてしまったら、聡い人には気づかれてしまう。髪結い師としてまだまだ働く己にとって、それはいただけないことだった。
 初めて殺したときは、ひどくあっけないものだと思った。人というものはこんなにも簡単に殺せるのかと思わず驚いた。髪に降りかかる血を慌てて避けて(だって髪が痛むじゃない)、背後の男の咽喉元を掻き切る。髪に血がつかないように注意すれば、あとは大した問題もなく殺すことができた。
 そうしてふと、恐ろしいと思った。人を殺してもなんとも思わない自分が。けれどなにかを感じることなんてできなかったのだ。人を殺す。それは髪を切るのと同じ、ひどく己にとって普通の行為のような気がしたから。手元が血で滑る。忍刀をもう一度しっかりと握って目の前の兵士の胸元、鎧の間に刀を突き刺した。そのまま引き抜いて刃に付いた血を払う。

「・・・・・・・早く帰ってお風呂に入って、滝ちゃんたちの髪触りたいなぁ」

 ぽつりとそう呟いて、背後を見ないまま後ろにいた兵士の首を真二つに折った。