花の導で眠るもの
廃病院の窓から、無垢を装った目玉が闇を反射してこちらを見下ろしている。呼んだ覚えのない存在が贄なのか敵なのか見極めようと百を越えた赤子の顔がぞろりと窓の向こうを隙間なく埋めている。死人のような青い肌。ふくふくとしているはずの頰は歪に凹んで、肌が骨に張り付いている隙間に無理やり詰め物をしたようだった。そのくせ瞳だけは生きているように爛々とふた振りを睨めつけている。あんなにも生まれてしまった。攫われた人間を贄に、あんなにも赤子が生まれてしまった。山姥切長義は氷のような無表情で赤子の群れを一瞥して、隣立つへし切長谷部へ笑いかけた。
「長谷部くん、あれは全部殺していいんだろう?」
「ああ。生きている人間の気配もない。あそこは既に怪異の住処でしかない」
「…そう。生きている子がいればと思っていたけれど。せめて遺体は弔ってあげないと」
「お前のせいではないだろう?」
「あ、長谷部くんはそうやってすぐに頭を撫でる」
長谷部にくしゃりと乱された星色の髪を撫でつけながら山姥切が殺意を溶かした瑠璃を緩める。その刃の切っ先のような輝きは美しい。やる気満々だなと肩を竦めた長谷部は、扉も窓も廃れた壁の隙間さえも、小さな爛れた生肉の塊のような手の群れがぺたりぺたりと塞いでるのを見て口角を釣り上げた。
今更その程度の警戒で何になるというのだろう。人を誘い、人を喰らい、死体を苗に生まれた怪異に。怪異を殺すために赴いた刀が力を出し惜しみなどするわけがない。
ガン!と正面扉を蹴りつけた山姥切は衝撃でぽとりと落ちてきた芋虫のような指を踏みつけて、その殺意を振り上げた。
「さあ、お前たちの死が来たぞ」
一刀。
振り下ろした殺意は扉を塞いでいた手の群れを両断する。ばらばらに落ちていく指を見もせずに山姥切は廃病院へ足を踏み入れた。廃れた屋内はどろりとした闇が凝っているが、打刀である山姥切と長谷部にとって闇は敵ではない。闇の向こうから向けられる視線に顔をしかめて、長谷部は足元に転がってきた手首を蹴り飛ばした。
「濃いな」
「そうだね、どれだけの未練を束ねたんだろうね?」
切り甲斐があっていいんじゃないかな、と宣う山姥切に、仕事が増えるだろうとため息を吐きながら長谷部が仕方なさそうに言い返す。
床に広がる鏡の破片の中に、目玉のない赤子が、指の欠けた子どもが、内臓をぶら下げている少年が、生首を抱えている首なし身体の少女が映り込んではふた振りをじいっと見つめていたが、ふた振りは歩くついでと言わんばかりの勢いで鏡を虚像ごと踏み砕いた。ひたひたと這い寄ってきた首なしの身体は蹴り飛ばした。積まれていた生首はきゃらきゃらと笑っていたが、山姥切が笑顔で炎を投げ込んだ。
この身に切れぬものはない。この身が恐れるものはない。実体があろうがなかろうが、幽霊だろうが妖怪だろうが怪異だろうが神だろうが、堕ちて澱んで穢れたものならば斬ればよい。
へし切長谷部と山姥切長義は、だからこそ怪異対策課に属しているのだから。
切って、斬って、斬って、斬って、切るために、生きている。愛おしく憐れで懸命な人の子を守るために、刀を振るっている。守るべきものたちを腹を満たすためでもなく、復讐のためでもなく、ただただ生まれるためには胎が必要だからというだけで苗床にする存在をどうして許せるだろうか。切らなければいけない。斬らなければいけない。刀を振り上げて、ふた振りは似たような顔をして笑った。
手足があらぬ方向へ無造作に飛び出ている、赤子の身体を溶かしてくっ付けたような、それを捏ねくり回して無理やり赤子の形にしたような巨大な異形に、同じタイミングで、同じ角度で、同じ速度で刃を振り下ろす。
ただ一振り、それだけで異形は泣き声をあげながらどろどろと溶けていった。
「多いな」
「そうだね、どれだけの贄を喰らったんだろうね?」
早く見つけて家に帰してあげたい、と憂う山姥切に、俺たちが来たのだから帰れるだろうと長谷部は不敵に笑って返した。きょとんと長谷部を見つめた山姥切は、次いで花のように笑み綻ぶ。
「そうだな、俺たちが来たのだから、死という安寧が迎えに来たのだから!」
正しく死ぬことのできなかった哀れな子たちに、正しい死を与えにきたのだ。そうだそうだと楽しげに刀を振るって穢れを払い落とした山姥切は、それならばと上を見上げた。
「早く原因を斬らなければ」
穢れて、澱んで、未練でさえなくなったへどろの溜まり場。ひときわ重い闇が渦巻いている場所。そんなところは早く切り捨てて、かわいそうな子たちに手向けの花を供えてあげよう。こんなにも闇が深い場所では眠りにつくこともできなかっただろう魂に、ささやかな眠りの導を灯してあげよう。
懐に入れた小さく可憐な白い花を潰さないように気をつけて、山姥切は目玉が連なってできた髪を振り乱す人型の首を刎ねた。連なりがほどけてばらばらに床に落ちる目玉がぎょろりと一斉に山姥切へ視線を向けたが、長谷部がカソックを翻してその視線を遮る。床一面に火を放って目玉だけを燃え上がらせた凍えた藤の眼差しは、訝しげに己を呼ぶ山姥切の声に花綻んだ。なんでもない、先を急ごうと振り向いた長谷部にそうだねと返して、ふた振りは目の前に急に現れた皮の剥がされた生首を同時に斬り捨てた。ごろりと転がった生首の、まぶたのない眼孔の中で飴玉がころころと回転している。その飴玉を割るように刀を突き立てて燃やしながら山姥切はそうだ、と長谷部を振り仰いだ。
「万屋街桜エリアのあまみつ屋、期間限定の苺飴を出しているんだ。帰りに買って帰ろう」
「あそこの飴は美味いからな」
「うちととなりの課の分あるといいなあ」
「また拝まれるぞ」
「なんで差し入れするたびに泣くんだろうねあの子達…」
審神者に存在を否定された神さまが、それでも人間に優しいからだろう、とは、長谷部は言わずに微笑んだ。微笑んで、溶けて固まった目玉代わりの飴を踏んで、砕いて、粉々にして、すり潰した。
階段付近に近づけば、最早形だけ赤子の肉の塊がはいはいをしながら寄ってきて、さらには階段上から転がり落ちてくる。鬱陶しいと眉を寄せた長谷部に、山姥切はもういっそ親玉の首を打ち取りに走ろうかと問いかけた。この赤子の群れを生んでいる存在を殺せば後も楽になるだろうと、長谷部の手をぎゅっと握って楽しそうに笑う。その手を握り返して、長谷部も楽しげな笑みを返した。
「早く敵を倒して昼餉を気に入りの公園で食べたいんだろう?国広お手製の弁当、こんなところで食べたくないからな」
「そ、そんなこと一言もいってないかな…!!」
ぱっと頰を赤らめた山姥切は、それを誤魔化すように階段を転がる肉塊を踏み台にして駆け出した。笑いをこらえきれなかった長谷部は笑い声をあげながら引かれるままに走り出す。ぐちゃりと踏み潰された赤子の肉塊は、ふええんと泣き声をあげながら蠢いて、転がって、ほかの塊とくっついて、離れて、動かなくなった。
そういうことを偽物くんの前では言わないでくれよ、もう!と長谷部を睨みながら、山姥切は人の顔が繋がった生肉に覆われ扉を一刀両断。ふわりと臭う血と乳に一気に瑠璃を凍らせて、部屋の中心を見つめた。
ああ、と憤りと悲しみのこもった吐息が溢れる。赤子は女の腹から生まれる。あんなにも赤子が溢れていたのだから、行方不明になった女性たちがまともな状態ではないことを覚悟はしていた。それでも。それでも。これはあまりに憐れだろうと、山姥切は憂いた。
恐怖に歪んだ瞳、助けを求めながら息絶えただろう大きく開いたままの口、振り乱された美しかったはずの髪。腹を裂かれ、体の中を晒したまま打ち捨てられたいくつもの無惨な死体。それらが積み木のように積み上げられて、女体は哀れな母体にされていた。いくつもの裂かれた腹からどろりどろりと赤子が生まれる。生まれ変わりたいと願った無害なはずの未練は、穢れ、澱み、母体を貪りながら這うように生まれ落ちていた。
ああ。ああ。ああ!なんてことだろう!山姥切は長谷部と繋いでいた手をそっと離して母体に向かって歩き出す。その歩みを、生まれたばかりの血と乳と汚泥でできた赤子のとろけた肉の手が遮ろうとするが、山姥切は蹴りつけて肉の手をべちゃりと潰した。
手が伸びる。蹴り飛ばす。
手が伸びる。踏み潰す。
手が伸びる。燃やし尽くす。
手が伸びる。斬り飛ばす。
手が伸びる。手が伸びる。手が伸びる。手が伸びる。
それらすべてを一閃して、山姥切は泣いたまままぶたも閉じれず死んでいった女の頰をそおっと撫でた。頰を、耳を、髪を梳き、まぶたを閉じさせる。慈愛に満ちた瑠璃が柔らかく綻んで、いいこ、ととろけるような甘い声が桜色のくちびるからまろび出た。
「迎えにきたよ、かわいい子。あいにくと花飾りしか持っていないのだけどね、許しておくれ」
君たちの死がきたよ。正しく死ぬための、正しく死なせるための、このまま怪異の母体という怪異に成らせないための。
白い花を髪に飾って似合うよと微笑んだ山姥切は、その一連の流れを見守りながら生まれ続ける赤子を斬り捨てる長谷部に頷いた。
「燃やしてしまおう。花と一緒に」
炎は浄化だ。澱みも死体も残さずあの世へ送ってくれるだろう。
願はくは、憐れな君たちが花の導で眠れますように。
美しい刀の神の祈りを乗せて、花飾りをつけて楽しげにくるりと回る女たちの幻ごと、炎は全てを燃やし尽くした。後に残るのは乾いた空気と灰と、柔らかに微笑んで女たちの門出を祝福した神がふた振り。
山姥切は納刀しながらそうだ、と長谷部を振り仰いだ。
「あまみつ屋の隣の乙女椿本舗、パフェの新作が出るらしいから、差し入れを買った後に寄って行こう」
「珍しいな、次の怪異を殺しに行こうとしないのは」
「………みんなにそろそろ休まなかったら強制七連休って言われたから…」
「馬鹿者、お前が休まなすぎなんだ。今日はもう俺と万屋街食べ歩き半休日コース決定だからな」
「ちゃんと休んでるのに……。長谷部くんのおすすめのお店を教えてよ」
「いいだろう。だがその前に国広の弁当を食べに公園へ行くか」
うん、とはにかんだ山姥切の星色の髪をくりゃりと撫でて長谷部は藤色の瞳を鮮やかに煌めかせる。美しいなとその藤を見つめていた山姥切の視界の端で、朧な女が白い花飾りを見せつけるように黒い髪をたなびかせ、ふわりとほどけるように姿を消した気がしたので。
おや、とひとつまたたいたあと、山姥切は花がほころぶように笑った。