生まれたばかりの春を編む/弐

 この本丸においてへし切長谷部は古参も古参、初期刀、初鍛刀に次ぐ三振り目の刀であったので、疾うに練度は上限に至っている。いつもは審神者と近侍の補佐、それ以外のあらゆる仕事もサポートする立ち位置にいるが、難易度の高い戦場や敵の編成やその時代の地形がわかっていない戦場へ赴く場合は、ほぼほぼ隊長を任される本丸の支柱であり、故に次の出陣にも組み込まれていたが、今回は今までとは勝手が違った。
 長谷部にしか心を開いていない、泣き虫で甘えたな幼いこどもが、全力でいやだいやだと泣きながら地団駄を踏んだのだ。

「ふえ、やだ、やだあああああああああああ!!!はしぇべといっしょがいい、ひとりやああああああ!!」
「雛、雛、そんなに泣くと喉を痛めてしまうぞ。俺も悲しくなる」
「ふぐっ、う、うううう」
「………こわいか?」
「ん、こわいっ、はせべしかやだ…っ」
「うーん」

 しがみついてくる鶴丸に頬を寄せながら長谷部は眉根を寄せた。長谷部以外は怖いと泣くこどもを置いていくのは心が痛むが、ここは本丸、戦争の最前線だ。幼い鶴丸を本丸に置き留めるために政府と長く面倒くさいやり取りをしたことも記憶に新しい。そんな中、戦でなにかしらのミスをしたら審神者が嫌味を言われることは明らかであり、長谷部はそんなことを許すつもりはなかった。それに長谷部が出陣することは最近では珍しくはあるが少ないわけでもない。この先ずっと長谷部が付きっ切りで面倒を見るわけにもいかない。鶴丸には長谷部以外ともほんの少しでいいから馴染んでもらわなければいけないのだ。
 手荒な手段ではあるが仕方ない、留守番は必要な過程だ。長谷部はしゃっくりをあげる鶴丸の目元を撫でながら困ったように微笑んだ。それに嫌な予感を覚えた鶴丸がいやいやと首を振る。

「…雛」
「やだあ…」
「なあ、小さな雛。今回は戦場の様子を見てくるだけなんだ。やつどきまでには帰ってくる。必ずだ」
「………う、」
「帰ってきたら一番にお前に会いに行こう」
「…ひながいちばん?」
「仲間の中で一番だなあ」
「一緒におやつたべれる?」
「もちろんだ。はんぶんこにしよう」
「ぜったいぜったい、ひなのとこにいちばんに帰ってくるって約束してくれる?」
「疑い深い雛め。そうだな、ならこれを雛に持っていて貰おう」

 精一杯の力で抱き付いてくる鶴丸の頬を人差し指でふにふにとつついたあと、長谷部はスラックスのポケットから栞を取り出した。桜を見に行った際にその桜を持ち帰って作った、鶴丸と長谷部でお揃いの押し花の栞。いつもお守りだと身に着けているそれを、長谷部は床へ降ろした鶴丸へ視線を合わせながら手渡した。

「お前と揃いの花の栞を預けておこう。俺の大事なものだ。それを受け取りに戻ってくるから、雛、ちゃんと待っていてくれ。俺に雛の一番のおかえりを言ってもらえたら嬉しい」
「!うん、ひな、はせべにおかえりなさいってする!」

 渡された栞を形が崩れないようにそおっと受け取った鶴丸は、長谷部の言葉にぱっと涙を止めて花のような笑顔を浮かべる。それを見た長谷部が眩しいものを見るように目を細めて、しゃがんだまま鶴丸をぎゅうっと抱きしめた。

「頼んだぞ、俺のかわいい雛鳥」

 額同士を合わせた長谷部がにっこり笑えば、鶴丸が涙とは違う理由で赤らめた頬を両手で押さえて、はにかみながら頷いた。


*


 長谷部がいないのは怖い、と鶴丸は膝を抱えた。一番落ち着く長谷部の部屋で、長谷部がいつも座っている座椅子に座って、長谷部の内番用のジャージを頭から被りながら鶴丸は握っている栞をじっと見つめる。
 この本丸に来てからずっと長谷部と一緒だった。怖がる鶴丸の手をいつも握ってくれて、あのうつくしい藤の瞳が花開くように鮮やかに笑いかけてくれて、甘やかな声がやさしさを詰め込んで鶴丸の名前を呼んでくれる。甘えてひっついてばかりの鶴丸を、かわいい雛、と言って抱き上げてくれる。その眼差しが、鶴丸を呼ぶ声が、甘やかしてくれる優しい手が、今鶴丸の隣にはない。初めてのひとりきりは心細さとさみしさで鶴丸の瞳を潤ませるが、栞の桜が寸でのところでその涙が零れるのを止めた。
 だって帰ってくると約束をしてくれた。一番におかえりなさいを言うのだと約束をした。長谷部のただいま、という声を想像するだけで鶴丸の胸の奥はあたたかくなる。
 ちらん、と時計を見てみれば十四時を指していて、そわそわと鶴丸の身体が揺れ出す。あと一時間。長谷部が帰ってきたら一緒におやつを食べて、今日はずっと抱っこをしてもらうのだと決めて、鶴丸は立ち上がった。部屋で待っていては他の誰かに一番のおかえりなさいを取られてしまうかもしれない。それはだめだ。一番は鶴丸のものなのだ。
 障子を少しだけ開けて周りに誰もいないことを確認する。壁伝いに歩き出しながら桜の栞と長谷部のジャージをぎゅっと握った。長谷部以外は怖い。善性の人間と刀たちであることはわかっているが、悪意のない、けれど異質のものを見る眼差しは、こわい。
 誰とも会いませんように、と念じながらとてとてと歩く。ジャージを引きずらないように頭から被ったその裾を腹のあたりで結びながら、向かう先は玄関だ。帰還した部隊が最初に踏み入る場所。長谷部を迎える場所。
 その玄関の隅に座り込む。膝を抱えて体育座り。膝頭に顎を乗せて、鶴丸は玄関の戸が開くのを待ち続ける。
 一番のおかえりなさいを言うために。


*


 やつどきには間に合ったか、と長谷部は心持足早に戦場から本丸へ続くゲートをくぐる。急ぎでもないし、まとめるのに時間もかかるだろうから、報告の詳細は夜にでいいよ、と審神者から笑いを含んだ声で言われたので、申し訳なく思いながら感謝の言葉を告げて審神者との通信を切った。
 帰還するとなった途端、長谷部の眼差しは心配に揺れる。楽し気で真剣な戦闘時とのあまりの違いに部隊の刀剣たちはささめくように笑ってしまった。長谷部とちいさな鶴丸の親子のような関係は、見ている分には愛らしく微笑ましい。長谷部以外には笑顔を見せない鶴丸に肩を落とすことはあれど、厭うことなど絶対にない。
 笑いに気づいた長谷部が恥ずかしそうに視線を彷徨わせるが、歩調は緩めなかった。玄関の戸の前で一息。勢いよく開けないように気を付けて戸に手をかければ、その向こうでぱさりと衣擦れの音がした。ああ、もしかしなくても、あのちいさな雛は玄関で待っていたのだろうか。まだ肌寒いだろうに、という心配から長谷部の眉間に皺が寄る。皺のよった顔でただいまというわけにもいくまい。長谷部は頭を振って眉間の皺を緩めると、今度こそ玄関の戸を開けた。

「………雛、どうしたんだ」

 戸を開けた格好のまま一瞬固まった後、長谷部は慌てて靴を脱ぎすてた。玄関の隅、長谷部のジャージを被った真っ白な生き物がぽかんと長谷部を見つめてかたまっている。微動だにしないその様に困惑した長谷部が鶴丸の前に跪けば、鶴丸のまあるい金眼がじわりと潤んだ。

「雛?」
「…はせべ、」
「うん、どうした?ちゃんと帰ってきたぞ?」
「はせ、はせべっ」
「ああほら、俺のジャージまで被って…さみしい思いをさせたな。ただいま、雛鶴」
「おかえ、おかえりなさい~っ!」

 ぶわっと泣き出した鶴丸は、両手を広げて微笑んだ長谷部に勢いよく抱き付いた。泣き続ける鶴丸を抱き上げて長谷部は柔らかく笑う。自分のジャージを被っていたことも、安堵と好意をにじませて見上げてきた金の瞳も、ためらいなく手を伸ばして抱き付いてくる幼さも、すべてがかわいくてしかたがなかった。
 ふんわりとした白い髪に頬を寄せれば、腕の中の鶴丸が頭を擦り付けてくる。泣きすぎてしゃっくりを上げだした鶴丸の背中をたたきながら、長谷部は眉尻を下げた。

「雛、そんなに泣いてくれるな。一緒におやつを食べるんだろう?俺が全部食べてしまうぞ?」
「だめ!だめー!はんぶんこするって約束した!したの~!」
「ふふ、そうだったな。一緒に食べないとな、泣き虫雛」
「なきむしじゃない…」

 ぷっくりと膨らんだ鶴丸の頬を指でつつきながら、長谷部は鶴丸と視線を合わせて蕩けるように穏やかに微笑む。花開く藤の瞳に安堵して、鶴丸は今度こそ笑顔で長谷部に抱き付いた。

「おかえりなさい、はせべ!」