エンドロール
晴れやかな気分であるはずだ。無垢なる絆は保たれ、己は己の目的を果たすことができた。死さえ覚悟していたけれど、こうして無事にあるべき世界へ帰ることができる。―晴れやかな気分であるはずだ。仲間の背中を見ながら。正確には、仲間の中心にいる少年を見ながら、コンウェイは一人思考する。
何の問題もない。このまま己はこの絆から抜け出してあるべき世界へ帰るだけだ。どこに問題がある?あるとしたら、トライバースへ帰ったあとの事だけではないか。そう思う。思うのだが、コンウェイはその優美な美貌を端からはわからない程度に悲愴に歪めた。胸の奥、固く閉ざしていた蓋がかすかに開いて痛みを訴えている。
この世界にくる前に、決意も覚悟も、していたのだ。元の世界に帰れないかもしれない。目的を遂行する前に死ぬかもしれない。そんなことは知っていて、それでも世界を渡る程度には、コンウェイは決死の覚悟をもってして旅をしていた。この世界での仲間を利用して、それに心が痛まなかったといえば嘘になるけれど、その痛みさえ覚悟に変えた。そうして今、別れの時が近づいていて。
…ああ、こんなにも、こころがいたい。
原因なんて疾うにわかっている。
自覚などしたくなかった。無自覚のままでいたら、心が痛んでも、こんなにも悲しくなることなんてなかった(―と、思いたい)。
揺れる銀髪が視界を占める。その髪を指で梳いて、華奢なくせに傷だらけの身体を抱きしめられたらどれだけいいだろう。ここのつも年下の同性の少年に、死への覚悟を越えるような想いを抱くだなんて思ってなどいなかった。
彼等のことは、客観的事実として知ってはいた。その絆に己も含まれるとは思っていなかった。こんなにも感情移入してしまうなんておもっていなかった。それほどまでに、紡がれた絆は心地好かった。
…それだけなら。絆が紡がれたというだけなら、きっと己は元の世界に帰っていただろう。さようならを口にして、そうして次の闘いに身を投じていただろう。
想定外だったのは、ルカという存在が、コンウェイが世界を渡ったその意思を揺るがすほどに大きな存在になっていたことだった。
きっと。心の中でそっと呟く。きっと、初めて出会ったときから、心をルカに傾けていた。(知識として)知っていたはずのルカ・ミルダとは全く違う、人見知りで気が弱くて泣き虫で、けれど―優しくて穏やかで。柔らかく微笑む顔が、美しくて。
君は君の魂を、自分で救わなければならない。そう言ったのは、絶望に堕ちてほしくなかったからだ。今ならわかるとも。コンウェイはルカのことを己で救いたかった。救うということが烏滸がましくても、この両手でルカの心を掬い上げたかった。…ルカは自分で自分を救ったけれど。それでも、と思うのは、一重に恋情からなるものだと、コンウェイは疾うに自覚している。
そしてこの恋情が告げられることも、そうして叶うことがないことも知っている。
世界を分かたれたあと、会うことは二度と叶わないのだから。だからこそ、こんなにも胸は痛みを訴えていて、けれどその痛みを無理矢理抑えるために美貌は微かに歪んでいる。視界を占める銀髪がふわりと揺れるたびに、その身体を抱きしめてしまいたい衝動に駆られる。そんなことできるはずもないのにと、口元が自嘲で歪んだ―その瞬間、前を向いていたはずのルカが不意にコンウェイを振り返った。ちゃんとコンウェイがそこにいるのかを確かめるように姿を認めたあと、視線を合わせて安心したように笑いかけてくる。反射的にゆるく微笑みを返した。エメラルドの瞳が信頼を乗せて見つめてくることが、泣きそうなぐらい嬉しかった。
そのエメラルドを見つめて、さようならを言えるのか。マティウスを倒したあとからずっと自問自答している。ふたつの魂を手に入れるために彼等の旅を利用したことを否定するつもりはない。だからこそ感謝の念は尽きないけれど、その謝礼をしたあと、果たしてそのままさようならを言えるのか。…二度と会えないことをわかっているのに?
それはできそうにない、と思う。
(きっと、攫ってしまう)
白い手を掴んで、自分の世界に連れていってしまう。それは駄目だ。それは、してはならないことだ。いくら実行にうつしてしまいたいと思っても、それが出来うる程度の力をもっていたとしても。
彼は彼の世界で、幸せに生きるべきなのだと。
コンウェイはそう考えている。そこにルカの幸せが何なのかを入れる余地はない。この世界では異物であるコンウェイ自身が、ルカの幸せに関わっているのだと考えてすら、いない。
さきほどのエメラルドの視線に、物言いたげな感情を…縋るような色が混ざっていたことに気づいていない。
まさかルカが、虫の知らせとも言うべき予感で焦っていることを、コンウェイが知る由もなかった。
*
それは、ふいに浮かんだ嫌な予感だった。
マティウスを-アスラの絶望さえをルカは心のうちに抱き込んで、世界はひとつになった。これからは以前と同じような、けれど大切な絆を更に紡ぎながら生きていくのだろう。そうルカは幸せに満たされて、そして不意に気づいたのだ。
マティウスの絶望。世界を滅ぼさんとするほどの強大な力。それを受け入れたからこそわかる。彼らが、この世界では異物であることを。…異世界からきたであろうコンウェイとキュキュは、それぞれの世界に戻るのではないか。まさか世界さえも違うとはついさっき知ったのだけれど、彼らが己のあるべき場所へ帰ることは知っていた。それは最初からわかっていたことだけれど、果たしてこの先再び出会うことはできるのか。
いいや、と本能に近い部分で判断する。
世界が分かたれていて、本来混じるはずのない絆が紡がれて。それだけでも有り得ない出来事だ。世界が交わることはない。元の世界に戻った2人と会うことは二度とないだろうと、考える前にわかってしまう。
それはきっと、本能に近い、けれど世界の意思にも近い、不思議な場所から沸き上がるような理解だった。
理解をして、事実を噛み締めて、瞬間ルカのまろい頬は悲しみで引き攣った。それは、世界の混乱を己のせいだと断じだときとは違うけれど、その時よりも鈍く痛む、じわりとした絶望だ。
(…コンウェイに、会えなくなる)
その事実だけが、満足気に微笑み合う仲間の輪の中、ルカを孤独に陥れた。
嗚呼、けれど。
それは仕方のないことなのだろう、と、ルカは不思議なくらい納得もしていた。出会えたことが奇跡なのだと理解すればこそ、例え二度と会えないとわかっていたとしても。ちゃんと。そう、ちゃんと目を見て、さようならを言おうと決めた。
例え二度と会えないのだとしても、この絆を思い出として大切に仕舞いたかった。泣いてしまうかもしれない。心が引き裂かれたように痛むかもしれない。けれどさようならを言おう。さよならは、大切な次へと進むための言葉なのだから。
心が絶望に沈む理由を、ルカはきちんとわかっていた。
(……イリアのことも、スパーダのことも、エルのことも、アンジュのことも、リカルドのことも、キュキュさんのことも、大切で、尊い仲間だけれど。イリアのことを守りたいと思ったことは嘘ではなくて、大切な人であることに変わりはないけれど)
けれど。
仲間に囲まれて歩く中、その存在を確かめるようにコンウェイを振り返って、きちんとそこに居ることを認知して、安堵に微笑む。微笑み返してくれたコンウェイのその姿を瞼の裏に焼き付けるように、ルカは強く目を閉じた。ずきりと痛んだ目の奥、それを静かに無視して。
(イリアのことを守りたかった。それは、紛れも無い僕の本心だけれど。けれど、僕はかれにこいをしていたのだろう)
叶うことなどない恋心を抱いて。瞼が震えた。もう会えないのなら、いっそこの想いを遂げてしまえばいい。ほんのすこし自棄になって、それはだめだ、と、苦笑した。困惑させるようなことなど言わずに、仲間であろう。少しでも彼の心にいい思い出として存在していよう。
胸の痛みなど、別れの絶望など。
そんなものは全部全部に蓋をしよう。出会えたことが奇跡なのだと、そう言い聞かせて。
そうしてルカは、瞼の裏で微笑むコンウェイに、その残像だけに、小さく好きだよ、と、告げた。