青薔薇の後継者
ウォッチ家のはじまりは、嫁入りしてきた一人のジャパニーズだと言われている。名前を知られることを酷く厭ったその女性は旦那にさえ本名を明かさず、色素の薄い金色の瞳を持っていたことから、アンバーと呼ばれていた。
彼女は陰陽師だった。普通の人には見えない、触れられない、認知できない狭間の存在と人間の間に立つ者だった。本来ならば人に害を為す存在を抑える職なはずなのに、彼女の興味は、己の持つ力をいかに効率的に、敵の目さえも奪うほど美しく行使できるかという、力の運用についてで大幅に占められていた。研鑽して研鑽して、彼女は数多の形の、数多の色の、数多の属性の力の塊を、敵が避けても次々と襲い掛かるように連続して放出し、規則的にあるいは不規則的に力の塊を配置して、躍動する美しさを演出することに人生をかけた。後に弾幕のようだと言われた彼女の術。それを綿々と受け継ぎながらひっそりと狭間の存在と人間の間の均衡を保つ、アンバーにあやかって身体と魂にそれぞれ名前を持ち、魂の名を生涯秘する一族。陰陽師、もしくはエクソシスト。そう呼ばれる者たちが多く生まれるのがウォッチ家である。
狭間の者たちは、おおよそにして人々の感情から生まれた存在だ。西洋の悪魔より、きっとジャパンの妖怪のほうが存在としては近い。彼らは実在する攻撃手段では触れることすらできない。例えば拳。例えば鋼。例えば銃弾。例えば電気。例えば熱気。例えば冷気。例えばヘルサレムズ・ロットの魔導。あらゆる力は掠りもせずに透過する。彼らに効くのはただひとつ、人間のもつ霊力のみ。精神エネルギーと言い換えていいかもしれない。誰しもが持っているその力は、普通は生きる上で必要な分しか人の身体を循環しない。その普通レベルの力は彼らには無意味で、彼らを見て、彼らに触れて、彼らを倒すためには、普通以上の霊力が必要であった。
その普通以上の霊力の持ち主が多く生まれるウォッチ家の中で、歴代最高峰の才能の持ち主と謳われる青年がいる。身体の名をレオナルド、魂の名を露草。妹を溺愛する彼は妹が喜ぶからと、阿呆かと思うほどの集中力と、繊細なコントロールと、莫大な霊力を持っていないと行使できない高難易度で心を奪われるような美しい術を、それこそ幼少期から編み出していた。妹のためであるそれは、霊力を花と水に変化させた、一見花吹雪に見えるものだ。舞う花の間を飛沫が踊る。水の中で花が踊る。幻想のようなその術は、美しいのと同時に恐ろしいほどの力を含んでいた。花びらひとつが、飛沫ひとつが狭間の者に対して爆弾並の威力をもつ。もしコントロールを失敗して想定外の花びらと飛沫がぶつかれば、術者のレオナルドにも反動がいって大怪我をするだろう。そんな術を簡単にやってのけるレオナルドは、正しく鬼才であった。
そんな鬼才は、神々の義眼を最愛の妹の視力と引き換えに埋め込まれたことで、彼に次期当主になれとうるさい頭の固いファッキン共を脅して蹴り倒して手出しさせないという誓約書を書かせてヘルサレムズ・ロットへやってきた。
忌々しいことに神々の義眼のせいで視野が広がり、霊力を以前よりも細部まで認識できるようになったレオナルドの術は進化し続けた。ジャパンのシンボル、桜による桜吹雪など一般的な術士が見たら卒倒するような緻密さを誇る。変わらず花と水、そしてライブラの先輩と上司に影響されて炎と氷の弾幕も作っている。
―ライブラの面々は、普通の霊力しか持っていない。超人だからって霊力まで規格外なわけじゃないんだな、精神エネルギーめっちゃもってそうなのに、と、レオナルドは少し驚いた。今のところヘルサレムズ・ロットで普通以上の霊力の持ち主は見ていない。異世界人はそもそも人間ではないので霊力など持ちようがない。霊力が普通ならば狭間の存在も、そしてそれを倒すための弾幕も見えはしない。ザップの背後に憑りつく女の情念の塊が、スティーブンの足元で蠢く数多の怨念が、それぞれ彼らに呪いをかけようと怨嗟をあげている。レオナルドはこの人たち今までよく無事に生きてたなぁと呆れと感心を同時に抱きながら、ダボダボな服の下に仕込んでいる、全てが完璧な球体のブルーサファイアでできている数珠に触れた。数珠は術を使う際に、わずかでも霊力を増幅したり、コントロールをしやすくしたりするための補助道具だ。レオナルドはなくても平気だが、まだ妹の目が見えていた時、お兄ちゃんの目の色だからと贈られたそのブルーサファイアの数珠を一生使い続ける気である。贈られた当日に盗まれないようにガッチガチに霊力で保護しまくっていたので、ヘルサレムズ・ロットでカツアゲにあってもとられる心配はなかった。
(花符『リリィ・イン・フルブルーム』)
霊力はなくても超人の彼らの第六感は素晴らしいので、不審に思われないように(レオナルドにとっては)小規模な弾幕を練り上げた。レオナルドの足元に透き通った水たまりができ、一輪の巨大な睡蓮が開花しながら水面に現れる。薄紫のその花が満開になった瞬間―すべての花びらが舞うように連続して怨嗟をあげるそれらに迫った。避けようとしても次々と襲い掛かる花を前になすすべもなく、あっさりと情念の塊も怨念も消え去った。
そっと息を吐き出して、レオナルドはギルベルトの入れてくれていた紅茶を飲んだ。これが、レオナルド・ウォッチのヘルサレムズ・ロットでの普通の日常である。
*
「死ねクソ外道が」
基本的には温和なレオナルドが、舌打ちしながら今までにない低い声で心底忌々しそうに吐き捨てて、ザップは思わず視線を向けて後悔した。普段の喧嘩のときの罵詈雑言など温いと感じるほどの冷えた眼差しだ。いつもは閉じられている神々の義眼はフル開眼、その精緻な術式の奥には氷よりよほど温度の低い天上のあお。レオナルドの背後で徹夜明けの我らが番頭と同じような黒いオーラがゆらりと揺れて、ザップは頬を引きつらせた。
「こンのファッキン豚野郎、お前何をしたのかわかってんの?術士の禁を犯して、ばれないとでも思ったの?頭ん中に蛆虫でも巣食ってんじゃねーの?」
「………なんだ、貴様も見える者か?ハハ、見えぬモノを見えるようにしたことのなにが悪いというんだ?」
「シネ」
唾を吐き捨てたレオナルドに、スティーブンが問う様な視線を向ける。ライブラは現在、都市に突如として現れた異世界人ではない得体のしれないモノを調査、あるいは殲滅するために出現場所へと出向いていた。たどり着いたそこでは、ヘドロのような、影のような、人が幽霊と聞いて想像する姿のようなモノが一面に蠢いていた。その影たちの中心には男が一人。明らかな中心人物に向かって開口一番レオナルドが極寒の眼差しを向けたのだ。
「少年、事情を」
「………………詳しくは後でいくらでも。簡単に言えば、限られた人間しか見ることも触れることも倒すこともできない仮名ゴーストを、無理やり誰にでも認識できるようにしたクソ野郎がアレです。ゴーストはみなさんの技では倒せません。あいつらには実在…物理攻撃は無効なんです」
瞬間、氷の剣が影を一閃。けれど氷は影を通過しただけで、なんらダメージを与えていない。ザップはそれを見て本能的に自分の血法も効かないことを理解した。してしまった。それなのに目の前には数多の影。物理攻撃が効かないということは、人間の持つ手段は封じられているも同然だ。
「おー………どうすんだこれ。なんだ、異世界の魔導とかもダメなのか」
「無理っす。あいつらに効くのは霊力だけっす。オカルトの分類ですね。専門がいるんですよ。ヴァンパイアハンターがいるならゴーストハンターだっています」
「少年は、なんだ、つまり、その専門家か。僕たちは過信でなくあらゆる情報を集めていたが、悪いが聞いたことがないぞ」
スティーブンの訝しがるような、深読みすれば不審そうな眼差しにレオナルドはにぃっこりと笑った。
「誰にでも見える血界の眷属とは違う、ほんの一握りの人間にしか認識できないゴーストを大多数の見えない人間が信じますか?それを倒すための霊力を使った技も見えないのに?それに、情報がなかったのは僕たち『見える人間』が『見えない人間』を混乱させないよう…うーん、つまり、混乱した数多の人間が仕事を邪魔しないようにと、世界の裏の裏に潜んできたせいでもありますね。
今でこそヘルサレムズ・ロットのせいでオカルト的なアレソレの信憑性は増してますけど、一昔前は魔女狩りなんてのもあったじゃないすか。用心してたんですよ」
困ったように頬をかく姿はいつも通りの温和な青年なのに、影に囲まれた現状がそれを異質なものにしている。じりじりと狭くなる包囲網に全く焦っていないレオナルドに、元凶の男が強欲に満ちた笑みを向けた。
「このあたり一帯には、ゴーストも、そしてそれを倒すための技も見えるようになる術式を埋め込んである。今まで会ってきた術士もお前のように憤り、私に歯向かい、こいつらの餌になってきた。………さぁ、普通は見えないその技を使うがいい。この数のゴーストを屠る前に、ゴーストがお前を食らいつくすさ」
我欲と自信にあふれた男にザップが噛みつこうとしたが、その場の誰もが寒気を感じて黙り込んだ。血界の眷属を前にしたときの寒気とはまた違うそれは、レオナルドが微笑んだせいだった。いつも通りの丸くなった背中、いつも通りの武術の心得なんてない普通の立ち姿、いつも通りの気の抜けるような笑み。けれど、薄らと開かれた神々の義眼から溢れる燐光がまるで氷の結晶のように見える。
そこには、『神々の義眼を持つ以外は一般人のレオナルド・ウォッチ』はいなかった。只管に男を睥睨する全く知らないレオナルド・ウォッチしかいなかった。
「……そっか、お前は、術士たちの霊力を奪いつくしてその馬鹿らしい術式を組み上げたのか。そっか。そっかぁ………慈悲はないから大人しく倒されろ」
アッこれアカンやつ。レオめっちゃブチ切れてる。なんだかんだとレオナルドと一緒にいることの多いザップがヒィッと後ずさった。それほどの迫力であった。
―次の瞬間に見えたのは、青い薔薇だ。レオナルドの周囲を埋め尽くすように咲き乱れた青薔薇。合間には潔癖の白薔薇。その花々を摘んだのは水でできた球体。水の球体に閉じ込められた薔薇たちが、数十、数百、明らかにゴーストよりも数多く空中に浮かんでいた。それは幻想的な景色だった。いかな暴漢でも見とれるほどの、きっと心臓を一瞬でも止める程の、美しさ。
その球体の真ん中で笑みを消して能面のような無表情になったレオナルドは、すっと人差し指を男に向ける。普段は隠されているほっそりとした腕にはブルーサファイアがあって、それは光が弾けているかのように輝いていた。
「花葬『花盗人への折檻』」
花の水球が舞うようにゴーストたちへ殺到する光景を、誰もが息を呑んで見ていた。魂をも奪う芸術品のようであった。その水に、花に触れられただけでゴーストたちは跡形もなく消えていく。視界一面を埋めていたはずの影は数秒の後にはひとりも残っていなかった。
さっきまでは余裕さえ見せていたのに今では呆然とした男が、怯えるように震えながらレオナルドに顔を向けた。青を通り越して真っ白な顔色は畏怖に歪んでいる。
「ブルーサファイア………青い薔薇…?おまえ、おまえは、レオナルド・ウォッチ…!?アンバーの後継者がなぜヘルサレムズ・ロットにいるんだ!?!?」
泡を吹きながら叫ぶ様は、いっそ薬でもキめたのかと思うほどの乱れ具合だ。疑問符を浮かべるライブラのメンバーにあとで説明しますと言って、レオナルドは取り乱す男の鳩尾を殴った。まったくの容赦なく全力で、である。
倒れ伏した男の背中を全体重をかけて踏みつけながらやっといつも通りの笑みを浮かべたレオナルドから、全員そっと視線を外した。ライブラにおいて平穏の象徴のような、感性も反応も普通の青年に対する勝手な幻想が勝手に崩れていく音が響いていた。