dear my charlotte
■AM 6:00
重みと同時に意識が覚醒する。眉を顰めて重さの元凶を探せば、案の定灰色の髪が花宮の腹の上に乗っていた。毎朝毎朝なぜこいつは俺の腹を枕にするんだ、と諦めのため息を吐く。今更何を言っても治るわけがない。今まで何度文句をいっても、結局灰崎は花宮の腹を枕にして眠るのだ。耐えられない重さではないし、最早慣れた今になってはその重さがないと違和感を感じるようになってしまった。慣らされていく感覚が嫌ではないあたり、ずいぶんと平和思考になったものだと自分で自分に感心した。家の中でだけだけどな、と心の中で呟いて、花宮の腹で気持ちよさそうに眠っている灰崎の額を叩く。ぺちんぺちんと叩きながら「おら起きろ」と寝起きの低い声をかければ、寝起きは悪くないが若干低血圧な灰崎は、とろりとした寝ぼけ眼を花宮に向けた。腹の上で動かれて些かくすぐったいが、寝ぼけてぼうっとしている灰崎の髪を引っ張ることで軽く仕返しをしてやると、のろのろと灰崎は花宮の腹の上からベッドの上へ頭を動かす。そのままシーツに顔を埋めて、くぐもった声で呻いた。
「………おは…よ……」
「オハヨウ。今日の弁当はお前がつくんだろ」
「ん……」
うー、と頭を振る。190センチ近くもある成人した男がして似合うような動作ではないが、幼い言動が存外似合う灰崎に花宮は内心頬を緩めつつ、表向きなんでもないように起き上がった。薄暗い部屋にカーテンの隙間から零れた日差しが注がれている。伸びをしたあとカーテンを開ければ、日差しに照らされた灰崎が眩しそうに目を閉じた。
「きょうなんよう…」
「水曜」
「うげえええ2コマ目から……」
心底嫌そうにつぶやいたあと、灰崎はのそりと緩慢な動作で起き上がった。眠そうに目を擦れば花宮に手を止められる。
「やめろ、赤くなる」
そのまま流れるように額に口付けられて、灰崎は機嫌の良い猫のように瞳を細めた。毎朝の恒例だ。そこまできてやっと灰崎の頭は覚醒する。あちこちに跳ねた長めの銀髪をくしゃりと撫でて、花宮は高校の頃からは考えられない穏やかさで微笑んだ。悪童、という呼び名がいまだ似合う性格の悪さではあるが、基本的に灰崎には甘い男なのだ。
「マコト、朝飯どっち?」
「米」
「りょーかい」
ぱきりと肩を鳴らして灰崎はキッチンへ向かった。それを追うように花宮も部屋を出て扉を閉める。2人が住んでいる2DKのマンションは、いつだってふわりとした暖かな空気に満ちていて。例えば香ってくる味噌の匂いだったり、洗濯機が回っている音だったり、マンションの前を通る子供の笑い声だったり。…お互いへの同属嫌悪と、各校にいる数多の才能への憎しみと、その才能が歪むことへの愛おしさで擦り切れていた高校までの生活の中、その同属嫌悪が共感に変わるのは、割と早かったのかもしれない。共感は憐れみに変わって、憐れみは歪んだ友情に変わって、それは最後には依存に似た恋に成った。下衆といわれるような人間同士だからこそ建前に隠した本音がわかったのかもしれない。戯れのように本音を戯言に滑り込ませて、それが楽しくなって、傍にいると心地よくなって。花宮が大学へ行ってもその関係は終わらなかった。
灰崎の進路を決める時、傍に居たいとはお互い言っていない。言っていないのに、灰崎は花宮の大学を受験したし、花宮はマンションを探し出した。当たり前のように始まった二人暮らしは、花宮が大学に行ってからは2人の中で決定事項だったのだ。
好きなヤツの隣に居たいと思うのは、だって、当たり前のことだろう?そう笑った灰崎を、花宮がほんの少しだけ赤くなった頬を隠すために殴ったのが数か月前。
大学のサークルの人間関係をかき回して遊ぶ灰崎然り、花宮然り。他人の不幸が楽しいあたりが変わるはずもないが、お互いへの感情は随分と穏やかさを伴っている。互いでなければ心を抉って反感しか買わない言葉の応酬を当たり前にやっていた高校の頃からすれば信じられないな、と、花宮は灰崎お手製の卵焼きを食べながら思った。今ではもう、傍にいるだけで満たされてしまう。傷をつけ合うことでその存在を確認することも、傷をつけ合うことこそが愛であった時期も、まるで高校においてきたかのように。
(………吐き気がするほどやさしい)
気持ちが悪いのにそれを享受することは心地いい。今だってきっと、お互いを傷つけたい気持ちを当たり前のように抱えているのに。とんだ二律背反だと一人ごちて、花宮は目を細めた。
■AM 8:00
「今日はおひたし入ってるからあんま斜めにすんなよ」
弁当を手渡しながら花宮にそう言って、灰崎はくあ、と欠伸を零した。朝一番に授業がある花宮より家を出るまでに余裕があるからか、その姿はスウェットのままだ。そんな灰崎の額を指で弾いて花宮は肩を竦めた。
「お前こそ二度寝してサボんなよ」
「わかってるってェ」
眠そうな眼差しで見られて(こりゃだめだわ)と花宮はため息を吐いた。たぶん寝る。そして授業ギリギリに起きて慌てて家を出る。少し先の未来が安易に想像できることになんだか笑えて、花宮はもう一度デコピンを食らわせてから家を出た。…バッグに入れた弁当は斜めにならないように気を付けながらだ。
■PM 12:30
ぐでんと机の上にうつ伏せになっている灰崎の鼻に、焼きそばのソースの匂いだったり、梅干だったり、スナック菓子の匂いが漂ってくる。下敷きになっていたノートがくしゃくしゃに歪んでいて、教師が書いていた雑な字を写していたノートは途中から見事に読めなくなっている。諦めたように前を向けば黒板はとっくに綺麗に消されていて、授業後半の部分がまるっと写せていなかった。この教授はどうにも眠くなる声してるんだよなぁと思いながら文房具を片づければ、周りが昼食を食べている中まだ眠気でぼんやりとしている頭が揺れる。ふらりふらりとしたままぼうっとしていれば、その揺れる銀髪を引っ張られた。そんなことをしてくる人物なんて一人しかいない。
毎日だって、それこそ今朝だって家から見送ったはずの優艶な美貌が振り返れば灰崎を見つめている。大学用の猫を被った微笑みを張り付けたまま、傍から見たら悪戯に髪を引っ張っているように見えるようにしつつ、その実それなりの力で引っ張られている頭皮が痛む。その手を振り払いながら睨むように見上げれば、楽しそうにする花宮は相変わらず(灰崎からしたら)気持ち悪い微笑みを浮かべながら、灰崎の隣に腰をおろした。
「朝言うの忘れてたんだけど。今日の夕方はスーパーな」
トイレットペーパーきれてたし、ついでに買い物いくぞ、と言われれば、灰崎は頷くしかない。頷いたあとそのまま首を傾ければ、銀髪が音をたてるように流れて、花宮はかすかに眉を寄せた。家の外でも不意に幼さを出す灰崎は、そのギャップがいいのよ、と、女子の間でも人気なのだ。今更灰崎が花宮以外に靡くなんて微塵も思っていないが、それでも独占欲の強い自覚のある花宮には面白くはない。
そんな花宮の心情なぞ灰崎はお見通しだった。何年付き合っていると思っているんだと、灰崎はそっと笑う。もっと嫉妬すればいい。もっと独占すればいい。束縛されればされるほど愛されていると実感できるタイプの人間だとお互いにわかっているからこそ、後はもう視線だけで十分だった。本当は自分のものであるという傷跡をつけたいのに、世間体はそれを許しはしない。だからこそ以前のような凶暴性を、しとしとと心の奥底に積もらせている。その潜めた凶暴さを眼差しにのせてくる花宮に灰崎は嬉しさで頬を緩めた。暴力ではもう傷跡はつけられない。―ならば隠せばいい。
いつだって情事の時の傷跡は、深く、体中に残っている。
「……買い物取り消し。すぐ帰るぞ」
トイレットペーパーはどうするんだよ、とからかう様な調子の灰崎に、花宮はうるさいとばかりに微笑んだ。そんなことより大事なことがあるだろう。
「血まみれにしてやるよ」
「マコトこそ」
ニコリ、微笑む。些細なことで嫉妬して、その度にそれこそ血が出るほどの傷跡を情事のせいにして残して、日常の裏側で独占欲と加虐心をそろりと満たす。…結局、高校の時と何も変わってなどないのだ。傷をつけ合うことでその存在を確認することも、傷をつけ合うことこそが愛だと思っていることも。
(……さっきの、わざわざ会いにこなくても、メールすればいいのにな)
灰崎がぽそりと内心に落とした呟きは、けれど今の2人の凶暴性とは裏腹に甘さで満ちていた。
■PM 10:00
動けない、と花宮を睨む灰崎に、花宮は舌を出すことで返した。うちももに、二の腕に、背中に、首筋に、服で隠せるあらゆるところに噛み跡であったり赤い斑点だったりが残っている2人は、止めを刺すようにさらにその上から甘噛みをする。そこに性的な意図はないが、くすぐったいのだろう灰崎は身体を震わせた。或はその刺激さえも、今の灰崎の身体には快感なのかもしれない。悪戯に首筋を噛めば、灰崎の咽喉がひくりと動いた。
「ばっか、もう無理だからな!ほんとに!いいから髪乾かせばかまこと!」
あまり力の入らない腕で花宮を押しやる灰崎の吐息だけで笑って、花宮はリビングのソファの真ん中に座った。その花宮の足の間、ソファにもたれるように床に座り込んだ灰崎の銀髪を、丁寧にタオルで拭いてドライヤーで乾かす。激しい情事のあと、風呂に入るまではなんとか。けれどそのあとはもう眠気に負けてうとうとしてしまう灰崎の髪を乾かすことは、同棲を始めてからの花宮の仕事だった。文句は言いつつ灰崎の銀髪が好きな花宮は、この時間を割と楽しみにしている。煌めく髪を梳けば灰崎は気持ちよさげに身体から力を抜いた。花宮の足にもたれて今にも寝そうな灰崎の肩にくっきりと歯型が残っていて、それをそっと撫でて花宮は口元だけで笑う。その類まれなる頭脳でもって花宮は理解していた。花宮と灰崎の間に流れる感情が、決して穏やかなどではないことを。その証が傷跡で、それが2人の愛そのもので、いつだってお互いに傷だらけだ。
眠りかけている灰崎の頭を撫でて、そのつむじに口付けをおとす。
同棲を始めたのも、寝室がひとつしかないのも、メールですむようなことを口で伝えにいったことも。すべてすべて、結局はひとつの事実にしか行き当らない。日常生活をたとえ家族とでも過ごさせたくないし、距離を置きたくないし、少しでも一緒にいたい。それはいきすぎた欲なのかもしれないが、その欲をお互いに向けていることが花宮と灰崎には当たり前だ。花宮はずっと灰崎だけがほしかったし、灰崎もずっと花宮が欲しかった。身体にも心にも傷を残すのはお互いだけでよかった。
目を細めて寝入ってしまった灰崎を見つめる花宮は、いっそ首輪でもしてやろうかとまどろむ頭でぼんやりと思った。
きっと灰崎には、黒い首輪がよく似合う。