灰崎祥吾の休日が先輩と後輩に埋められている件

 せーんぱい、と、語尾にハートか音符が付きそうな響きで知った声に呼ばれて灰崎は振り返る。振り返った先、灰崎のクラスの扉に寄りかかるようにバスケット部の後輩がニッコリ笑顔で手招きをしていた。お前が来いよ、と視線で言えば、まるで犬のように後輩は駆け寄ってくる。何とはなしに己よりずいぶん低い位置にある黒髪を撫でれば心地よさそうに頬を緩めて、それが灰崎をなんとも言えないくすぐったい気持ちにさせた。小学校までは年齢なんて関係ないのに中学校でいきなり先輩ができて、1年経てば後輩もできる。自分を慕っているだなんて変わり者だと思うが、微笑ましいような、うれしいような、むずがゆい気持ちは否定しようもない。さらりとした黒髪をかき回して手を離せば、後輩はキラキラとした瞳で灰崎を見上げた。
「んで?なんだよ?」
 何か用があるんだろ、と問えば、元気な返事。まさに満面の笑みといえるそれを浮かべて、後輩は灰崎の手をぎゅっと握った。
「ショーゴ先輩、今週の日曜、一緒にバスケしましょ!」
「お前それ先週もおんなじこと言ってただろ。そんで先週の日曜もバスケしただろ」
「先週は先週です!オレは毎日だってショーゴ先輩とバスケしたい!」
 なのに先輩ってば、部活辞めるから。ぷくりと膨らんだ幼さを残す頬に人差し指を突き刺しながら灰崎は苦笑した。正確には辞めさせられたのだが、その件に関してはバスケット部の評判どうこうの問題で広がらないままだ。因って、灰崎は部活を自主的に辞めたことにはなっている。一応。
 バスケット部を辞めた灰崎とバスケットをするには、唯一部活が完全に休みな日曜日に誘うしかない。平日は学校と部活のせいでできない上、土曜日は午前が部活だ。大会前は夕方まで長引くし、そもそも大会がなくても大体午後まで練習は長引く。
「先輩とばすけーしたいー」
 駄々をこねるように灰崎の両手を振り回す後輩に、灰崎は仕方なさそうにため息を吐いた。灰崎だってバスケットがしたいし、後輩のことはけっこう普通にカワイイと思ってるし、断る理由などないのだ。ただ問題なのが、この、後だ。

「…………灰崎は、今週は、俺と遊ぶんだよ」

 ほうら来たと灰崎はひそりと遠い目になる。最早面白がって灰崎の手を握って腕を揺らしている後輩の背後から、鋭い眼差しのバスケット部の先輩がどろりどろりと重い空気を出しながら現れる。若干緑がかった瞳が後輩を睨んでいた。目つきが悪いのに睨みを利かせるからか、雰囲気がいつも以上に物騒だ。
「先週はとられたからな。今週は灰崎は俺らとバスケすんの。抗議もなにも受け入れません」
 ぺしんっと後輩の腕を軽く叩いて灰崎の腕を引っ張る。先輩に灰崎を取られた形になった後輩は、むぐうっと先輩を睨み上げた。
「偶には後輩にやさしくしてくださいよお!」
「アアン?優しいだろーが、毎週灰崎独占してるわけじゃないんだからよ」
「それはそうですけどっショーゴ先輩と遊びたいっ」
 地団駄を踏む後輩に先輩が何かを言う前に、それを見ていた同級生の男子が手を挙げた。はーい、と伸びた手に、灰崎は雰囲気に合わせてその生徒を名指しする。名指しされた生徒は楽しそうに立ち上がると、灰崎の休日の予定を取り合うバスケット部の先輩後輩に向かって。
「オレらだって灰崎と遊びたいでーす。部活の人ばっかずるいでーす」
 宣戦布告とも取れる発言をした。それを聞いた先輩後輩は揃って頬を引きつらせる。
「ただでさえ同じクラスってことで一緒にいる時間長いくせに!先輩のクラスみんなずるい!」
「俺は部活だから無理だけど、お前ら普通に土曜とか他の連休のときとか遊んでるんだろ…?その上でその発言とか喧嘩売ってんな?」
「やだなー、それでも日曜日は全部そっちにとられてるじゃないっすか」
 笑顔を絶やさない同級生がこの状況を楽しんでいるのを眺めつつ、灰崎は苦笑した。あまり性格も素行もよろしくない自覚はあるのだが、なんでだか毎週だれかが遊びに誘ってきて、毎度毎度この状況に陥るのだ。…見目も言動も不良そのものなのに、意外と面倒見が良くて、偶に優しい。そんなギャップが後輩に懐かれて、先輩に可愛がられて、同級生に好かれている理由だなんて灰崎は気づいてなんかいない。同級生が重いものを運んでいれば荷物を奪うようにして手伝ったり、実は(というのも失礼だが)成績もいい灰崎にわからなところを聞けば「めんどくさい」と言いつつ教えてくれるし、キセキの世代の開花によって本格的に試合に出れなくなった生徒の不満が部活内で渦巻く中、試合なんて関係ないとばかりにバスケットを楽しむ灰崎の姿がその空気を癒していたり。そんな灰崎に人気が集まるのは当然といえば当然だったのかもしれない。
 なんにしろ、週末前になると、灰崎の休日の予定で誰かが揉めることなんて日常茶飯事すぎて、最初は戸惑っていた灰崎でさえ慣れてしまった。なんでこんなことになってんだろ、なんて疑問は考えるだけ無駄だ。
 目の前では三つ巴が勃発しているし、誰もそれを止めようとしないどころか教室にいるクラスメイトは同級生を応援しているし、廊下から教室を覗き込んでいるバスケット部の生徒はそれぞれ同学年を応援しているし。灰崎は先輩に掴まれた腕をそのままに小さく笑った。
 母と兄は母子家庭の負担をどうにかするために働いているし、それに文句なんてない。けれど寂しいものは寂しくて、けれど、それを言えるほど灰崎は素直ではなかった。幼馴染にだって言えやしない。寂しさをどうにかするために―家以外にも自分の場所を作るためにレギュラーという座に固執した。その場所を奪われて、寂しさに慣れてしまっている灰崎にとってどうということはなかったけれど、また寂しくなるのかと少しだけがっかりした。
 しかし周りはレギュラーでなくても灰崎を求めた。友人として、先輩として、後輩として。それがどれほどうれしかったのかなんて絶対に言えやしないけど。
 にぎやかな教室で灰崎は今日も幸せに笑った。目を開けて見回せば世界は思いのほか優しくて、騒がしくて、幸せだ。

*

「で?結局じゃんけん?」
「イエス!」
 楽しそうに返してきた同級生に思わず噴き出す。灰崎の今週の日曜の予定は誰のものだ!全員拳を振り上げろ!さいしょは!ぐー!と、急に声を張り上げた同級生の意図を察して、その場にいたほとんどの人間がじゃんけんをしだした。(え、なに、なんでこんな人多いんだ?)なんて久しぶりに戸惑う灰崎を他所に白熱したじゃんけん大会は、言い出した同級生の勝利に終わって、盛大なブーイングと共に三つ巴どころではなくなった灰崎争奪戦は終了したのだ。
「正々堂々の勝負だったのにみーんな文句言ってくんの!ひどいね!げきおこ!……ところでなんでげきおこって言うの?」
「しらねーよ。というかなんで使ったんだよ」
 呆れたように視線を投げかける灰崎に同級生は笑って返した。
「気分!だって絶好のお出かけ日和じゃん?灰崎のパーカーも真っ青でなんか天気とシンクロしてていい感じじゃん?オレ浮かれるじゃん?」
「ワリィ意味わからん」
「ひどい」
 口ではそんなことを言いながら笑っている同級生を睨みながら、灰崎も緩む頬を抑えられなかった。きっと誰でもやってる普通のことが馬鹿みたいに楽しい。寂しいなんて口が裂けても言えるわけがない。
(…あれ、俺ってけっこうどころか幸せじゃね?)
 首を傾げながら今更実感する。母にも兄にも友人にも先輩にも後輩にも、いろんな人に好かれている。あれ、と頬が赤くなりかけて、同級生の手前必至に顔色を繕った。それでもさきほどより頬が緩む。

「俺ってばかほーもの」

 灰崎が小さく呟いた言葉を聞いた同級生は(好かれてることにやっと気づいてやんの)、と、呟きが聞こえない振りをしながら内心で呆れたように暖かな微笑みを零した。