やわらかい刃先
いとしい子が、泣きたいとさけんでいる。その赤い瞳がきれいな心をそのままうつしていた。
つらい。いたい。くるしい。かなしい。うたいたくない。うたえない。
それは、戦場においては甘えになる。フロンティア全体を危険にさらしている今、それは許されない、どうしようもない甘えだ。それを本人もわかっているから、歌おうとしている。素直すぎる瞳に、心をうつしたまま。
彼女に触れれば、どこかがあたたかくなる。彼女が笑えば、世界は幸せなものになる。彼女が歌えば、世界は母に抱かれたように穏やかになる。彼女がうつむけば、雨がふる。彼女が辛いと、腹の底に憎悪がたまる。彼女が泣くと、世界が闇で染まっていく。これを人は心というのだろうか。感覚はただぬるく思考をそめあげ、俺はただ彼女の一挙一動を鮮烈に瞼に焼き付けている。不愉快ではないそれは、おそらく大事なもので。
そうして俺は、命令でもなく、なにものでもない自身の意志で彼女を守りたいと口にした。
(―・・・・泣くな)
声に出さないで囁く。泣くのを堪えるようにして空を、あの青年を見上げている彼女のその強がりを、まだ壊してはいけない気がした。不愉快だった。早乙女アルト。青年の名前を脳内ではじきだす。ころしてやりたいとおもった。彼女にそんな顔をさせるものは、壊れてしまえばいい。しかしそれでは彼女は悲しむだろう。ランカ・リーは早乙女アルトのことを好いているのだから。ずきりと胸が痛んだ。
そっとうつむく。歌いたくないというのは甘えだ。許されない甘え、だ。
けれど、ランカのそんな姿は見たくないとおもった。無理をして歌ったそれは、彼女の歌ではない。彼女の歌は心だ。羽のようにやわらかな声でつむがれるそれは、世界を包むゆりかごとなる。かなしみにそまって歌った彼女の歌は、彼女の心を殺すのだろう。
それはだめだ。
「・・・・・歌いたくないなら、歌わなくていいんだぞ、ランカ」
とっさに出ていた言葉に、ランカが振り返る。驚いたように一瞬開いたそれは、涙をたたえてゆがんだ。
自分の手をみつめる。この手がランカに触れて、抱きしめて、それが何かの救いになるだろうか。人のぬくもりなど意味を成さないくらい、この手は多くのものに触れすぎた。たとえばそれは黒々と光る血であったり、冷たい鉄の塊であったり。慰撫に向かない手。傷ついている彼女をだきしめていいのだろうか。それで彼女のなぐさめに少しはなれるだろうか。
そう思っていたら、腕はランカに向かって伸びていた。柔らかな若草色の髪がふわりと揺れる。目を開けたまま俺を見上げてきたランカをさらに抱きしめて、口をひらいた。
今だけは泣いてくれればいい。泣けば辛さも少しは流れるだろう。泣けばかなしみも一緒に流れるだろう。少しでも歌うことが辛くないようにできるなら、この腕の存在意義は果たされる。この、生まれたばかりの心の存在意義がはたされる。
腕の中で声をあげて泣くランカを強く抱きしめたまま、空をみあげた。空中に浮かんでいる早乙女アルトの機体。それを睨みつける。
(お前はランカにふさわしくない)
ランカの奥に埋まっている心に気づけなかったお前は。一言でも、声をかけられなかったお前は。ランカにふさわしくない。それだけを繰り返しておもった。歌わなくてはいけないだろう。歌わなければいけないだろう。歌いたくないと言った少女にそれは酷であるが、わがままは許されない。ここは戦場。ここは生死の境。歌わなければならない。そして、その歌いたくないといった素直すぎる子供の心は、けれど決して悪いものではないのだ。慈しむべきものだ。それを救い上げることは、できるだろう。
(ランカは、俺が)
しゃくりあげているランカの頭をゆっくりとなでる。指の間でからむことなく通っていく髪に唇を寄せて頬をうずめた。
この子がどんな決断をしようとも俺はこの子についていこう。その決断の行く先まで、ついていこう。それはきっとこの子を守ることになるだろうから。腕の中の小さな身体。いとしいと思う。この身を張ってでも守りたいと思う。俺の唯一。俺の、心そのもの。
(ランカは、俺が守る)
まだ小さく、しかし世界を守ろうと歌う歌姫から腕をはなした。泣きはらした目元は赤い。そこを撫でて、口元をゆるめた。
「・・・・・ありがとう、ブレラさん。うん、私、歌わなくてもいいって、言ってもらいたかったのかもね。でもそれじゃあ、だめだから。私は歌って、決めなきゃだめだから」
歌うよ、とそうほのかに微笑んだ彼女の笑みは、どこまでもやわらかい。その頭をそっと撫でて、俺はきびすをかえした。背後で彼女がありがとうと小さくつぶやく。
礼は必要ない。俺は俺が守りたいと思ったから傍にいる。ずっとお前の、傍にいる。そのしなやかな心の傍にいよう。そのやわらかな歌声の傍にいよう。そのやさしい笑顔の傍にいよう。俺はお前の傍にいよう。それは俺の望みでもあるのだから。
歌声がひびく。世界の子守唄が響く。それは悲しさを秘めていたけれど、痛々しいほどやさしかった。目を閉じてそれを聞く。彼女に傷がつくことはない。歌をきく。彼女の歌。自分も知っているその歌。重ねるようにハーモニカを吹く。これに気づいて、少しでも軽やかに歌ってほしい。
彼女の傍にいよう。彼女を守ろう。それが俺の存在する意味で、すべて。
鮮烈な光とともに彼女がした決断を、俺はそっと受け入れる