必要ないもののはなし

 ヴァルトルスはゴッドフリーをよく庇う。心無い暴言からも、敵からも。ゴッドフリーは戦闘を得意としない、というより、何者であろうと傷つけることを厭う性根が、その刃の切っ先を鈍らせる。そんなゴッドフリーをフォローするようにヴァルトルスが剣を躍らせるのは、2人が共に戦う時の常だ。…それがいつかヴァルトルスに傷を負わせるかもしれないと思うのに、ゴッドフリーはそれでも敵にトドメを刺すことに躊躇う。現在とて戦いの終わりに悔いるゴッドフリーに、ヴァルトルスは呆れたようにため息を吐いた。
「向き不向きがあるのは当たり前だろう。それを無理に変えれば、流れに逆らった精神が折れるだけだ」
「…けれど、僕のこの甘えが、いつかお前に傷を負わせるかもしれない」
「見くびるな。私が貴様を庇った程度で傷を負うか馬鹿者」
 でも、と言い募ろうとしたゴッドフリーをヴァルトルスは睨むことで黙らせた。険を孕んだ碧眼は、美貌と相まって酷く恐ろしい。
「傷を負ったらそれは私が未熟だということだ。戦いには私のほうが向いているのだから、私が前に出ることは当たり前だ。貴様には何ら責任はない。……何時までも下を向くな」
 きつく言い放って踵を返すヴァルトルスの背中を、ゴッドフリーはまばたきをして見つめた。言い方も雰囲気もきつかったけれど、あれは。
「………気にするなって、ことか?」
 じわじわと口元が緩む。一人で声をあげて笑いそうになって、咄嗟に手で口を塞いだ。優しいなあと吐息だけで微笑んで、ゴッドフリーは瞼を伏せた。
(でもな、ヴァルトルス。お前が怪我をするのは嫌なんだ。―なにか、できることがあればいいのだけれど)
 ゴッドフリーにできることは多くはない。自慢できることと言えば、竜と植物の育て方と、飼い竜に教えてもらった美しい風景を教えれることぐらいだ。
(…ん?植物?)
 その時不意に閃いたものに、ゴッドフリーは薔薇色の瞳を煌めかせた。

*

「……なんだ、これは」
 訝しげに首を傾げるヴァルトルスに、ゴッドフリーは色鮮やかな花束を抱えたままきょとんとした顔で、ヴァルトルスと同じように首を傾げる。いつも眉間に寄せている皺もなく、後ろに撫で上げている髪さえ乱雑なゴッドフリーのその仕草はいやに幼く見えて、ヴァルトルスはいささか動揺した。
「花だ」
「見れば分かる。…そうじゃなくて、ただの花ではないだろう?自然のものではない。全てお前の力で作られた魔力の塊だ」
 ゴッドフリーの瞳と同じ色に仄かに発光している花々は、自他ともに潔癖を認めているヴァルトルスが感嘆の吐息を零すほどに、一切の汚れも枯れもなく美しく存在している。ゴッドフリーはその花束をヴァルトルスに差し出した。
「…?」
「これはヴァルトルスに。…僕の、癒しの力を込めてるんだ。でも元は魔力そのものだから、怪我をしたときに使えば回復してくれるし、例えば魔力が足りない時には微々たるものだけど不足を補ってくれる」
「………怪我は、負わないと」
「そうだな。ヴァルトルスの実力は、きっと僕が一番知っている。…それでも、僕を庇った怪我でも、そうでない怪我でも、負う可能性はあるんだから。いらぬ世話でも焼かせてくれ。お前は難易度の高い命令も下されているから―心配なんだ」
 花束を差し出したまま困ったように眉を八の字にするゴッドフリーに、ヴァルトルスは一瞬息を詰めて、次いで細いため息を吐いた。仕方のない、と花を受け取れば、ゴッドフリーの瞳が輝く。
「ありがとう、ヴァルトルス!」
「……いや、こちらこそ礼を言う。使い道がいろいろとありそうだ。しかしなんで花なんだ」
 普通の花ではないから潰れはしないのに、丁寧に花を抱え直しながらヴァルトルスはゴッドフリーを見上げた。…花の似合う男だな、と、常より幼いゴッドフリーの顔を見つめる。眉間に皺のある強面は髪を下ろすと一気に柔らかになり、整った容貌を晒す。それこそゴッドフリーの性根のような優しげな風貌だ。…その柔らかな眼差しが、慈愛をもってヴァルトルスに注がれた。
「本当なら装飾品にしようと思ったんだ。宝石には相当量の力を溜めることができるし。…でも、お前は一度身に着けたものをもう一度着けるのは嫌だろう?なら、使ったらその場で消えるようなもので、ポケットに入るような、ってなって思いついたんだ。魔力で作った花だから潰れないし、花粉も飛ばないし、虫も寄せない。花びらだけでも血止めぐらいはできるし、なにより、」
 言葉を切ったゴッドフリーが、ふわり、と、微笑んで。花に埋もれそうなヴァルトルスを見つめた。
「―ヴァルトルスは綺麗な顔をしているから、花が似合うと思って。思った通りだ」
 ……これがゴッドフリー以外からの言葉だったなら、ヴァルトルスは鼻で笑って流しただろう。見目を称えられる程度で動揺など欠片もしない。
 けれど、邪気の全くない純粋さで唯一の友に言われて、動揺するなという方が無理な話だ。ぐっと照れを飲み込んで、ヴァルトルスはそっぽを向いた。
「馬鹿なことを言うな馬鹿。―……だが、私のことを考えて作ってくれたことは、その、だな、……ありがとう」
 耳の赤いヴァルトルスにゴッドフリーは瞳を緩やかに細めた。要らないと拒否されるかもしれないと考えていたのに、ヴァルトルスからは感謝の言葉まで聞けた。…優しい、友だと。花を見て微かに綻んでいるヴァルトルスの口元を見て、ゴッドフリーは柔らかに笑った。

*

 部屋の一角を染める色とりどりの花を、ヴァルトルスは無表情に見つめた。花を見るだけで、これをもらった時のゴッドフリーの微笑みが浮かぶ。呆れるほど優しく弱い友だった。…そのやさしさ故に、自身を滅ぼした、馬鹿な友だった。
 ゴッドフリーの魔力でできた花はゴッドフリーのいない今でもその美しさを保っている。ゴッドフリーを庇って怪我をしたときに使おうと話していた花は、結局使わなかった。飾っていたそれを使う時は二度とこない。―二度と、ゴッドフリーを庇って怪我をすることはない。いない友を庇うことなど出来はしない。
 ヴァルトルスは花瓶を持ち上げる。必要のないそれを捨ててしまおうと抱えるのに、花に顔を埋めるたびにゴッドフリーのやさしさを思い出して、結局捨てられずに部屋に在り続けている。

(…捨てられるわけがない。不必要なもの。今までは捨てることのできたいらないもの。……けれどこれは、あの大馬鹿の一部で作られた、唯一のものだ。……………今はもういない、友の、唯一の。ゴッドフリーのやさしさそのもののような、これを)

 唇を噛みしめたヴァルトルスは、不意に唇に冷たさを感じて花を離した。魔力でできた花だ。水はいらないし、そもそも力の塊なのだから水分や花粉は一切ない。…一切ないはずなのに、花からあふれた水滴が一粒、ヴァルトルスの噛み締めた後の残る唇に触れて。
 ―その傷跡を癒した瞬間、ヴァルトルスの胸に去来したのは、途方もない、痛みと、痛みと、愛しさだった。